昨今、chat-GPTを筆頭に人工知能AIの発展は目覚ましいですよね。
何を聞いても回答をくれるし。
文章も生成してくれるし、デザインも生成してくれる。プログラミングコードも書いてくれる。
万能すぎる優秀ツールです。
それだけではなく、人によっては壁打ち相手や悩みを聞いてくれる存在としてもAIを活用しているというね。
AIもエモーショナルな分野に参入したと言っても過言ではありません。
chat-GPTが登場する前は、「AIの誕生によって、単純労働は無くなるだろう」と言われていました。
しかし、実際フタを開けてみれば、ライターやデザイナー、クリエイターなど人のクリエイティブがAIによって変えられているではありませんか。
なんと。。。
そんな状況で、AIと共存を目指すとはいえ、共存するにはAIと人間の境をハッキリしておかなければならないわけです。
では、人間ができてAIにできないことはなんなのでしょうか?
僕が一番特徴的だと思うのは「そうはならんやろ!」という体験なのです。
具体的には、
- 失敗
- 謎の仮説と検証
- 論理が飛躍した行動
などが挙げられます。
僕が個人的に人工知能AIを使って感じたこと、それは「完璧すぎて飽きる」ということでした。
AIは確かになんでもできます。最近は精度も高まっているし、プロンプトのノウハウも大量にある。
なんでもできてしまうのが現状です。ただ、このなんでもできてしまうのが逆にAIの弱点な気もしています。
AIは常に完璧を求められる。大袈裟にいえば失敗は許されない。
仮にAIが変な生成や指示に従えてなければ、「なんだこいつ。使えねーな」と思われかねない。
しかし、人に対しては「完璧にこなしてくれ」なんて期待はありませんよね。
何か想定外のミスが起こるだろうから、対策しておこうと知恵が働くこともあります。
この想定外のミスというのは、AIにはできない価値であり、宝物ではないでしょうか。
特に主体的な失敗こそが、人間にしか生み出せない価値ではないでしょうか。
自分はこういけると思ってやってみたら、盛大に失敗した。
というのは、個人的には面白いと感じます。でも、その人のチャレンジ精神がどことなく伝わってきて暖かい気持ちになるし、応援したくなる。
少し前に、僕が参加した交流会では、キックボクシングをやっている人に会いました。
なぜやっているのか、聞いたらビジネスでお金がやばかったから目立って集客するためにキックボクシングのイベントに参加したのがキッカケだったそう。
ちなみに、その方は今まで喧嘩したこともないのだとか。
「面白ー!」と感じましたね。
しかも、現在は試合に負け続けているそう。なのにスポンサーは増え続けているという。
面白い!面白すぎる!
他にも福岡のスピリチュアル系なうどん屋を経営している方がいるのですが、その人がうどん屋を始めたキッカケは「テレビを見ていたらうどんを見て、やろう」と思ったのだとか。
最近僕がお世話になっているのが、スピリチュアルなことをされている散髪屋の方。
子供の頃から、この宇宙への興味関心が尽きなかったそうで、今も真理を求めて人の髪を切っているそう。
面白すぎる。
なんというか、「そうはならんやろ!」という想定外な感じがたまらなく面白いし、その人の人柄を強烈に印象づけてくれていると感じています。
このような「そうはならんやろ!」がとても大切なのだと思うのです。
盛大に失敗したり、盛大にやらかしたり、盛大にチャレンジすることがとても大切なのではないでしょうか。
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