丸田です。
前回のエピソードVo.1では、僕の学生時代をご紹介しました。

まぁシンプルにクソっぷりを発揮した学生時代でしたが、「自由に生きていきたい!」と検索したことで、人生が一気に変わったのでした。
一体何が起こったのか?エピソードVo.2をぜひご覧ください。
丸田、すべてを捨てて、コピーライターへ!
突如、目の前に現れた新世界
「自由に生きていきたい!」と検索して、目の前に映し出された画面。
それは当時の丸田には信じられない光景でした。
なぜなら、目の前には「元皿洗いがネットで1億円稼いだブログ」という文字が現れたからです。
そう、僕はここで初めて「ネット起業で稼ぐ」という世界を知ったのでした。
「なんだこれはぁー!」

と感動し、その人のブログを四六時中読みまくりました。
さらには、バイトで稼いだお金を情報商材に注ぎ込んでました。(と言っても1万円ぐらい。)
こうしてネット起業のノウハウやマーケティング戦略などを学ぶ日々が始まりました。
この時は、朝から晩までずーっと学んでました。
当時付き合っていた彼女から「今日はちゃんと学校行ってね♡」と言われて、「おうよ!」と返事して、そのままサボって学校内のカフェへ入って学んでました。
アホかって話ですよね。苦笑
でも当時は「就職か死か」という二択で悩んでいたので、ネット起業こそが僕にとって最後の希望の光でした。
しかも、ありがたいことに購入した商材には購入者が交流できるビジネスコミュニティもありました。
「僕以外にも、ネットで稼ぎたい人いるんだ!俺は一人じゃない!」と嬉しくなりましたね。
そして僕は決意しました。
大学をやめよう!
すべて失い孤独へ。そして上京。
僕は電話しました。
相手は親。
親が厳しすぎて、僕は今まで親に逆らったことがありませんでした。
しかし、僕も日本に生まれし大和の漢。
やるときゃ、やらねばならぬのです。
「大学をやめる」、そうバシッと言わねばならぬのです。
電話をかける。プルル…「はい!」
2回目のコールで父が出る。相変わらず電話出るの早ぇ…。
スマホを握る手を振るわせて、僕は言いました。
「大学をやめることにした」
…
間があいて父が一言。
「もうお前は俺の息子じゃねぇ」
こうしてなんとか親に自分の意思を伝えることができました。
さらに僕は上京しようと決意。
なぜなら、ビジネスをやる以上環境は大事だと感じたからです。
僕は大学時代は熊本に住んでいたのですが、東京の方が絶対に学べるはず!
当時、付き合っていた彼女から「行かないで」と毎日、泣きながら言われ続けていました。
正直、胸が痛みました。
でも、やらねばなりません。
やるときゃやるのが丸田ですから。
「ごめんね」と謝り倒しました。
そして、大学の先生たちにも、大学をやめる旨を伝えました。
みんな引き留めてきますが、ここはフル無視。
友達にも別れを告げました。

↑大学の友人からもらった色紙。
そしてついに、3年過ごしたアパートを引き払って東京へ向かうのでした。
僕は学歴を捨てました。
親から好かれようとする自分を捨てました。
親しんだ友人との快適な環境を捨てました。
全てを捨てました。
強烈な孤独を感じました。
とはいえこれは自分が選んだ道なので仕方がありません。
成功したら、すべて取り戻せる!
これが自分を奮い立たせる唯一の信念でした。

丸田のバブル崩壊
正直言うと、僕は「自分はすごい!」と思っていました。
というのも、学生時代にはいち早くマーケティングを学び、ビジネスを知っていたからです。
そのマーケティングの知識を活用して、天文サークルの新入生を増やしたり、学園祭の集客数No.1に表彰され、賞金まで獲得したからです。
また少しだけ物販でお金を稼いだ経験もありました。
将来に向けてのビジネスモデルもガッチリ組んでいました。
僕の周囲には、ビジネスやマーケティングを知っている人は他にいませんでした。
そんな状況もあり、「オイラ天才じゃん!これでいけるぞ!」と思っていました。
心の中では成功した時の妄想で溢れていました。
いや、すでに成功した気分でした。

札束と高級スーツに広い家。そして美女。
僕の中ではすでにバブルだったのです。
そんな気持ちで東京へ向かいました。
東京に出てきて、ハッキリしました。
僕は凡人でした。
僕は東京に来て、まったく売り上げを伸ばすことができませんでした。
しかも、大学時代に組み立てたビジネスモデルは全てボロクソに指摘されました。
一方で東京には、僕より若くてめちゃくちゃ稼いでいる人がゴロゴロいました。
僕のわずか2歳上の人が月収3000万円とか。
元ヤクザがわずか2ヶ月で月20万円稼ぎ出して、4ヶ月目で会社設立したとか。
ほわんほわんしてるのに月収が100万近くある女子。
俺は一体なんなんだ?
東京に来て、いろんな人に会いまくった。
東京の六本木で会社をかまえる、いわば成功者からビジネスを色々学んだ。
さらには営業チームとして、日々営業もしていた。
やれることはやった。はずだった。
なのに何もうまくいかない。
そして、僕は完全に詰んだ。
金が尽きた。
8月の蒸し暑い日。新宿ど真ん中。所持金500円。
僕は絶望した。
どうしてこうなった?
何がダメなんだ?
学生時代のあの自信はどこへ消え失せた?
そんな失意の中どうしようもなかった僕は、情けないことに親に近況の連絡をした。
父から言われた。
「もう帰ってこい」
それで地元、福岡に戻ることになったのだった。
改心の誓い、そして仙人との出会い
ありがたいことに、両親は僕が福岡に帰ってきた時のための家をすでに手配してくれていました。
感謝!圧倒的感謝!
マジで情けなさすぎる!死ぬほど恥ずかしい!
だけど大学を辞めた僕に、こんなに優しく接してくれるなんて…
親には感謝してもしきれないと感じた。
これからは親の言うことをなんでも聞く。決して逆らわない。
そう堅く誓った。
福岡で新生活が始まった。
僕の地元は福岡の田舎の方。
でも今回は福岡市で都会。一人暮らし。ちょっとワクワクしてた。
すると父から電話。
「もう無理はするな。一生懸命真面目に働いていけばいいから、な」と言われた。
僕は父の優しさに号泣した。
親の言うことはしっかり守る。そう堅く決意した。
父は「まずは就職したらいい。金を稼いで生活安定させて、それから好きなことやればいいんだから、な」と優しく諭してくれた。
ますます泣けた。
そうします。明日から就職先を探すことを約束した。
親の言うことをなんでも聞く。決して逆らわない。堅く誓う!
ふぅ…今日は疲れた。とりあえず夜も遅いし寝るか。
明日起きたら、まずは就職先を探そう…。眠りについた。

次の日の朝。
「よっし!新しいビジネスやるぞいーーー!」
と、いつものようにパソコンを「カタカタターンッ」と弾く日々が始まったのでした。
え?なに?
父親との「就職先を探す」という男と男の堅い約束はどうしたんだって?
ごめん!忘れてたーーーw
そう…。父との就職先を探す約束は、頭からスッポリ抜け落ちていたのでした…苦笑
やっぱ丸田ってアホだよね〜笑
でも、そこがいいんだよ!丸田を許してやってくれw
さて、以前購入した情報商材の特典としてコミュニティがあることを思い出した。
僕はそのコミュニティに加入し、日々ネットでブログ記事を書いたりしながら、気づきや感じたことをアウトプットしていました。
そんなある日、コミュニティの人から「今度、勉強会やりませんか?」とメッセージが!
場所は福岡。
ぜひぜひ!と二言返事で、お会いさせていただくことに。
当日、お会いした方がめちゃくちゃ親切な方でして。
ありがたいことに、ブログのSEOというノウハウをなんとタダで教えてくれたのでした。

SEOとは、検索上位表示させるサイト集客術の1つ
僕はSEOを学んで、なんだかんだ良い感じにWebサイトが整い始めたのです。
それ以降、僕はその方を「SEO仙人」と呼んでおります。
ある日、SEO仙人から言われました。
「君、文章うまいね〜!」
この一言が、僕をコピーライターへ駆り立てるのでした。
ライターへの覚醒
僕は「よし!俺はライターとして食っていく!」と決意しました。
「おい!単純かよ!」と感じるかもしれませんが、僕は今まで自分の文章が上手いか下手かなんて考えたことすらありませんでした。
なんなら、自分の強みは一体なんだろう?とすら悩んでいたのです。
何かスキルを身につけようとか、何か資格とか。
そんなこと考えたりしていたのですが、まさか自分の強みとなる武器をすでに持っていたとは…。
その時に、強みは手に入れるのではなく自分の中に眠っているんだな、ということに気づけました。
SEO仙人の一言で、僕の強みが文章であることに気づきました。
よっしゃ!俺はWebライターだ!!
…で、何やればいいんだ?
そこで、まずはSEO仙人からSEOを教えていただいたお礼として、無料でSEO仙人のサービスを売る販売ページを書きました。
これが僕の始めての仕事でした。
他にもネットでいろいろ調べてみると、同じくコピーライターとして個人で活動されている「Kさん」という方を知りました。
このKさんは後の僕の師匠となる方です。



今でも大変お世話になっております。
そのKさんが当時開催していたコミュニティがあったので、参加させていただきました。
さらには交流会などにも参加して、ひたすら無料でイベントページを書いていました。
当時は福岡で開催されたBBQイベント「青春BBQ」の文章を書いたり、夜空を眺めながらコーヒーを飲んで語り合うイベント「星空珈琲」の文章を書いたりしていました。
※ちなみに、当時書いたBBQページはこんな感じ↓


こうして少しずつ実績を積んでいきながら、Kさんにもその旨報告していたのですね。
すると、なんとKさんが「もっとガンガンやっていきましょう!」とFaceBookで僕を紹介してくださり、はじめての有料案件をいただけることになりました。
あの瞬間はチビるほどに嬉しかったです。
その時は1ページ1万円という格安案件でしたが、わずか3分ほどで応募が集まり、定員に達しました。
カップラーメンにお湯注いで食べようとしたら、口座の残高が増えてた!みたいな、そんな衝撃です。
東京ではあれだけやっても稼げなかったのに、Webライターでは一瞬で稼げたぞ。。。
ここから少しずつ、案件が増えていきました。
最初は終活とスピリチュアル系だったのですが、そのあとは事業承継やメルマガの執筆、さらにはコーチング向けのセミナー募集ページなどいろんな案件を依頼いただけるようになったのです。
こうして、僕のライターとしてのキャリアが積み上がっていったのでした。
そして、さらに僕のキャリアが大きく飛躍する転機が訪れるのでした。
大学をやめ、東京へ行くも挫折。
すべてを失った丸田に舞い降りたWebライターという新たな希望。
その道を進み、見事成功への切符を掴んだ丸田だった。
加速度的に増えてく仕事。イケイケドンドンで調子に乗る丸田。
でも、ちょっと待って!!そのままじゃ奈落に落ちちゃうわ!調子に乗っちゃダメ!
次回、コンサル・プロモ・講師の三足の草鞋でバリバリ活動!その裏で忍び寄る魔の影
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